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2009年8月バックナンバー

サスティナブルということ
norichan (2009年8月28日 10:27)

最近、サスティナブル(sustainable)という言葉をよく耳にします。
人と地球の健康で持続可能性を重視したロハス(LOHAS=Lifestyles Of Health And Sustainability)というライフスタイルが、ソトコトなどの雑誌で注目され始めた頃から、時代のキーワードになってきた感があります。

たとえば、
・サスティナブルツーリズム(環境や文化の悪化、過度の商業主義を排した持続的な観光)
・サスティナブルエコノミー(環境経済学)
・サスティナブルデザイン(環境負荷を意識したデザイン)
・サスティナブル建築
・サスティナブルシティ(持続可能なコンパクトシティ)
など、地球環境の持続を意図した観点から、さまざまな分野で使われはじめています。
kikou_miyasaka.jpgそれほどまでに、われわれの宇宙船地球号はお先真っ暗、難破の危機に瀕しているということなのでしょう。先日、所沢の気功教室で「清静功」(せいせいこう)という"大自然の「気」をとりこんで、気血水の通りをよくする"ベーシックな気功のレッスンをしていて、サスティナブルについて、ふとこんな思いを抱きました。

サスティナブルということと、これも最近になって出てきた「生物多様性」ということは表裏一体で、われわれ人間は、宇宙の森羅万象と謙虚に「サスティナブルコミュニケーション」をとることが、われわれが生かされ、生き延びるうえでも必要になってきているのではないか、ということでした。

この秋は、月を見て、花を見て、収穫の田を見て、アリの巣作りを見て、「サスティナブルコミュニケーション」について考えてみようと思っています。


ブルース・スプリングスティーン讃
norichan (2009年8月21日 13:31)

bruce.jpgわたしの息子が、NO MUSIC, NO LIFE.の店員兼バイヤーをやっているもので、時おり彼のストックヤードをチェックするんですが。先日、そこで、ブルース・スプリングスティーンの「WE SHALL OVERCOME」を見つけました。副題に「THE SEGER SESSIONS」とあり、心のザワメキをおぼえ、ライナーノーツをめくると、案の定ピート・シーガーへのオマージュをこめたカバーアルバムでした。

新作ではなく、発売は2006年。つまり、オバマ大統領の就任にあわせて、NO MUSIC, NO LIFE.がプロモーションしようとしているアルバムなのだなとピンときました。ご承知のとおり、ブルース・スプリングスティーンはバラク・オバマの熱烈な支持者であり、リンカーン記念館で行われた大統領就任記念コンサート「ウィ・アー・ワン」コンサートにも出演していました。そこに90歳になろうというピート・シーガーも一緒に出ているんですね。

BORN TO RUNのアルバムで衝撃を受けてファンになり、BORN IN THE U.S.Aワールドツアーの東京公演(忘れもしない、代々木オリンピックプールの特設ステージ、今から約25年ほど前のこと)で打ちのめされてから、わたしとほぼ同世代のブルース・スプリングスティーンはずっと気になる存在ではありました。ただ、最後に聴いた「DEVILS&DUST」がちょっと内省的でネガティブな傾向が強すぎて、"キミの思いはわかるけど、やりきれんなあ"気分だったのですが、この「WE SHALL OVERCOME」は一転、あかるく、陽気で、ポジティブな力に満ちており、オバマ大統領の誕生を"予感"させるようです!(ちょい、オーバーかな)

ピート・シーガーが歌ったアメリカのルーツ・ミュージックですから、奴隷制度、人種差別、公民権運動、貧困、干魃といった社会の弱者に立った歌が多いのですが、そうした課題に「Yes,we can.」で立ち向かい、「WE SHALL OVERCOME」する心意気にあふれています。基調はもちろんフォークですが、時にブルース、時にゴスペル、また時にアイリッシュ・パンク(ブルースの父親はアイルランド人)のように聞こえます。

「マイ・オクラホマ・ホーム」を聴きながら、サイタマの里山をゆっくりドライブしていると、ブルースの声とオバマ大統領の就任演説が重なるようで、世界の明日がちょっぴり信じられるような気になります。
※なお、このアルバムには、ブルースの農場での仲間とのセッションや、インタビューが収録されたDVDが付いています。こちらも必見です。アルバムお求めの際は、NO MUSIC, NO LIFE.池袋店でお願いしますね。


グラン・トリノ
norichan (2009年8月12日 09:01)

熱帯性低気圧が台風に変わり、気象庁が中国・四国地方に警戒を呼びかけている夜、深谷シネマでグラン・トリノを観た。50席ほどのミニシアターの、雨降る夜の最終回の上映は、観客もまばらで、ホームシアターのくつろぎに満ちていた。

fukacinema.JPG深谷シネマの素晴らしさは、埼北のネギとブロッコリが特産品の街に、全国の映画人も注目する映画文化を根づかせたことだ。ロードショー公開が終わったばかりのグラン・トリノも、一部の映画マニアしか支持しないようなインディーズフィルムも、街のみんなが望めば、ここでは観ることができる。ありがたい市民映画館だ。


で、グラン・トリノだが。わたしが知ったかぶりの映画評などをすると、クリント・イーストウッドに申し訳ない気もするが、あまりに感動し、あまりに衝撃をうけたので、拙文ながら印象をかいつまんで述べてみる。残念なことに、イーストウッドはこの映画を最後に、俳優業を引退し監督業に専念するのだそうだ。

ゆるゆると、愛妻の葬式シーンから、物語は始まる。主人公は、フォードの元自動車工で、退役軍人、ヴィンテージカー「グラン・トリノ」をこよなく愛している、ばりばりのコンサバ老人だ。日本車のディーラーをしている息子とは、当然ながらそりが合わず、家族からは邪魔者あつかいされ、隣人や牧師にさえ心をひらこうとしない。出だしの30分は、孤独で意固地な老人の、シニカルなアメリカン・ホームドラマのようにみえる。

そして、アジア系ギャングにそそのかされた隣家のモン族の少年タオが、グラン・トリノを狙い、盗みに入るあたりから物語は大きく動き始める。それをキッカケにして、彼は少しずつ変わり始め、人生最後のミッションに向けて突き進んでいく。このあたりのストーリー展開は、言わぬが花だろう。毛嫌いしていたアジア系移民家族とのあたたかな交流のはじまり、モン族の姉弟によってひらかれていく孤独な心、ギャングによる不条理な暴力、アウト・オブ・ロー(無法)への無力、親子の葛藤、神への祈りと懺悔、そして生と死といったテーマが、静かだが緊張感のある映像によってたんたんと綴られていく。

マカロニ・ウェスタンにはじまって、ダーティハリー、許されざる者、ミリオンダラー・ベイビー、チェンジリングと続いてきたイーストウッド映画の集大成を見るような傑作だ。
エンディングは、グラン・トリノを譲られたモン族の少年タオの心を映しだすように(そして、それは主人公の心象風景でもあるのだが)、おだやかな光につつまれた美しい風景の中を、ゆったりとクルージングしながら、終わる。ブラボー!! そして、涙。



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