熱帯性低気圧が台風に変わり、気象庁が中国・四国地方に警戒を呼びかけている夜、深谷シネマでグラン・トリノを観た。50席ほどのミニシアターの、雨降る夜の最終回の上映は、観客もまばらで、ホームシアターのくつろぎに満ちていた。
深谷シネマの素晴らしさは、埼北のネギとブロッコリが特産品の街に、全国の映画人も注目する映画文化を根づかせたことだ。ロードショー公開が終わったばかりのグラン・トリノも、一部の映画マニアしか支持しないようなインディーズフィルムも、街のみんなが望めば、ここでは観ることができる。ありがたい市民映画館だ。
で、グラン・トリノだが。わたしが知ったかぶりの映画評などをすると、クリント・イーストウッドに申し訳ない気もするが、あまりに感動し、あまりに衝撃をうけたので、拙文ながら印象をかいつまんで述べてみる。残念なことに、イーストウッドはこの映画を最後に、俳優業を引退し監督業に専念するのだそうだ。
ゆるゆると、愛妻の葬式シーンから、物語は始まる。主人公は、フォードの元自動車工で、退役軍人、ヴィンテージカー「グラン・トリノ」をこよなく愛している、ばりばりのコンサバ老人だ。日本車のディーラーをしている息子とは、当然ながらそりが合わず、家族からは邪魔者あつかいされ、隣人や牧師にさえ心をひらこうとしない。出だしの30分は、孤独で意固地な老人の、シニカルなアメリカン・ホームドラマのようにみえる。
そして、アジア系ギャングにそそのかされた隣家のモン族の少年タオが、グラン・トリノを狙い、盗みに入るあたりから物語は大きく動き始める。それをキッカケにして、彼は少しずつ変わり始め、人生最後のミッションに向けて突き進んでいく。このあたりのストーリー展開は、言わぬが花だろう。毛嫌いしていたアジア系移民家族とのあたたかな交流のはじまり、モン族の姉弟によってひらかれていく孤独な心、ギャングによる不条理な暴力、アウト・オブ・ロー(無法)への無力、親子の葛藤、神への祈りと懺悔、そして生と死といったテーマが、静かだが緊張感のある映像によってたんたんと綴られていく。
マカロニ・ウェスタンにはじまって、ダーティハリー、許されざる者、ミリオンダラー・ベイビー、チェンジリングと続いてきたイーストウッド映画の集大成を見るような傑作だ。
エンディングは、グラン・トリノを譲られたモン族の少年タオの心を映しだすように(そして、それは主人公の心象風景でもあるのだが)、おだやかな光につつまれた美しい風景の中を、ゆったりとクルージングしながら、終わる。ブラボー!! そして、涙。